ダハトハダ

その①寒すぎませぬか???
かと言って、駅に着くと、、、「あれ?もしかすると、着込みすぎた?」と思い、更には電車に乗るともう、暑いと思うまでに、日中の寒暖差よりもこの寒暖差がきつかったりする。
どちらを優先させるかで、着ていく服が変わってくる。

その②睡眠
どうも。帰ってから家事だの風呂だの終わらせて寝てまた会社行くの繰り返しは自分の中で納得がいかない。
だから、いつも2時とかまだ起きてしまうんですが、そのせいもあるのか、最近集中力がほんとになくて、仕事の効率と悪い。
普通なら焦りそうなものの、生憎どうせ残業なので、まだ時間はあると錯覚して、結局ダラダラ仕事してしまうのだ。
うん、残業ってほんと良くない。

その③べんきょう
今まで試験勉強のためとか学校がそういう場所だから何気なく勉強して、社会人になったらもう勉強はしなくていいと心のどこかで思ってた。
でも、そうではなくて、勉強を強要されなくなっただけなんだと思った。
なんだかんだ言って、就職してしまえば、勉強しなくても仕事ができれば給料はもらえるし、生きていける。自分が今置かれている状況で満足ならばいいのだ。
例えば、今私は平日は毎日10時近くまで残業し、休日も出勤せざるを得ない状況であるが、私自身が不満を持っていないのなら、お金も働いた分貰えるわけだし、何か問題があるわけではない。
が、私はいつも「なんでこんなことしているんだろう。」と1日のうちに思う瞬間が幾度もある。
この状況を打破する答えとして、べんきょうが鍵になってくる。
スキルがあれば、会社を選べるし、さらに言うなら会社を作ってもいい。
つまり、自分に合った環境に身を置くことができる。
もっと極端に言い換えよう。
あなたが苦しいとき、楽したいなぁと思うだろう。そのとき思い描く光景は、今までの経験でもっとも幸せな記憶から作られるものだと思っていて、
その光景を再現する=自分に合った環境づくり
につながっていく。
そのためには、スキルがいる、どんなスキルが必要でそれを持っていないのだとしたら?
べんきょうが必要。
こう考えるとなんだか、勉強していることは理想の暮らしを作る部品のようにおもえないでしょうか。
現状打破のためべんきょうは必要なのだと思った話でした。

ご拝読ありがとうございました。